フィリピン

皆さんこんにちは。MH Packaging Inc.の吉岡です。

本日は、私が会社員としてフィリピンで働いていた際のお話をさせていただきます。

なぜ私がフィリピンで働くことになったのかというと、もともと海外での就業を目標にしており、日本での実績がなければ海外で働けないのではないか、となぜか漠然と考えていました。ちょうど2018年に、当時勤務していた会社で新規プロジェクトを成功させたことを機に、その実績をもとに海外転職に挑戦してみようと思ったのが始まりです。

では、なぜフィリピンを選んだのか。それにはいくつかの理由があります。まず、私の親族にフィリピンの方がいらっしゃり、昔からフィリピンに対して親近感を抱いていたこと。さらに、日本からのフライト時間が4時間以内であり、時差もわずか1時間という、初めての海外転職先としては非常に適していると感じたためです。

フィリピンでの就業において、特に苦労したのは略語の多さでした。PNP、PEZA、OFW、DENR、DOH、DOLE……これらはすべて、私が業務で関わった機関や人々の略称です。これらを覚えるために略語リストを作成し、そのリストを片手に仕事をしていました。

また、恥ずかしい話ですが、日本で働いていた頃は、海外の取引先の文化や商慣習を十分に理解せず、無理な圧力をかけていたことがありました(これは会社の方針でした)。そのような姿勢で現地で仕事をしても、うまくいきません。現地で成功するためには、「私をここで働かせてくれてありがとう」という感謝の気持ちを持って仕事をすることが大切です。そして、日本人が苦手とする「宗教」への興味や理解も必要です。東南アジアでは宗教が人々の生活の基盤となっています。その点を理解せずに、日本と同じ感覚で仕事を進めると痛い目にあうでしょう。もしご興味がありましたらさらにお話させていただきますので、お気軽にお問合せください。

では最後に、フィリピンと日本のつながりについて、歴史を交えて少しお話ししたいと思います。

フィリピンが300年以上にわたりスペインの植民地支配を受けていた歴史は広く知られていますが、アメリカとスペインが戦争をしていたことはあまり知られていません。1898年に米西戦争が勃発し、その結果、フィリピンはアメリカの領土となりました。この戦争の引き金となったのは、アメリカの戦艦メイン号の爆発事件です。キューバに停泊していた際、謎の大爆発が発生しました。当時、キューバはスペインの領土であり、この事件を受けてアメリカはスペインの陰謀と断定し、戦争に突入します。その結果、キューバはスペインからの独立を果たすものの、アメリカの保護領状態が続くことになります。

スペインとの戦争後、アメリカがフィリピンを統治していた時期に太平洋戦争が勃発しました。日本軍がフィリピンに進攻し、アメリカ軍は撤退を余儀なくされます。当時、フィリピンで指揮を執っていたアメリカ軍の総司令官は、GHQで知られるダグラス・マッカーサーでした。彼がフィリピンから撤退する際に残した有名な言葉、「I shall return.(必ず帰ってくる)」。1945年、日本が敗戦すると、フィリピンは再びアメリカの支配下に戻りましたが、翌年にはアメリカから独立を果たします。さて、マッカーサーのこの有名な言葉はフィリピンに向けてのものなのか、それとも日本に向けてのものなのか。その因縁を感じるのは、私だけでしょうか。

フィリピンについてのお話はまだありますが、すでに1500文字に到達してしまったので、今回はここまでにします。また別の機会にトピックを変えてお話させていただきます。最後までお読みいただきありがとうございました。