皆さまこんにちは。MH Packaging Inc.の吉岡と申します。
弊社を設立前は、フィリピンとインドネシアで会社員として勤務しておりました。東南アジアの市場での経験は、現在の事業運営において非常に貴重なものとなっています。本ウェブサイトでは、時折、私の東南アジアでの体験やASEAN諸国に関するお話もお届けしていきたいと思います。
キーワードとして「フィリピン」「インドネシア」が出てきましたが、実は今、私はマレーシアからこの記事を書いています。この三国は、ASEAN(The Association of South East Asian Nations/東南アジア諸国連合)に所属しています。「ASEAN(アセアン)」と聞いて少し馴染みのない方もいらっしゃるかもしれません。一方で、すでによくご存じの方、ASEANのどこかの国と取引をされていらっしゃる方、あるいは、ASEANのどこかの国で駐在されていらっしゃる方もいらっしゃるでしょう。
本日は、そのASEANがどのようにして誕生したのか、その歴史について少しお話させていただきます。
ASEANは1967年に、タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポールの5か国によって設立されました。当時、世界はどのような状況にあったのでしょうか。東南アジアでは、ベトナム戦争が激化しており、この戦争は米ソの代理戦争とも言われています。ASEANの誕生には、このベトナム戦争に至るまでの歴史を読み解くことが欠かせません。できるだけ簡潔にお伝えしますね。
ベトナムの建国の父とされるホー・チ・ミンは、フランス植民地時代にフランス船の見習いコックとしてフランスを訪れた際、マルクス主義に触れ、フランス共産党の創設に参加しました。これを契機に共産主義者となり、その後、ソ連や中国で活動を続けました。1930年には香港でベトナム共産党を結成します。
1941年、約30年ぶりにベトナムに戻ったホー・チ・ミンは、ベトナム独立同盟会(ベトミン)を結成し、日本からの独立運動を開始しました。日本が敗戦しベトナムから撤退した後、1945年9月、ホー・チ・ミンは「ベトナム民主共和国」(後の北ベトナム)の独立を宣言します。
しかし、フランスは再びベトナムを支配しようと戻ってきましたが、ベトミンがこれに抵抗しました。1946年12月、この抵抗が独立戦争へと発展し、「インドシナ戦争」が勃発します。この戦争において、ベトミンはソ連と中国から支援を受け、一方、フランス軍にはアメリカが支援を行いました。東西冷戦の時代にあって、ベトナムはソ連とアメリカによる代理戦争の舞台となったのです。
この戦争は、1953年にフランス軍が降伏し、1954年にスイスのジュネーブで和平協定(ジュネーブ協定)が結ばれ、「インドシナ戦争」の休戦が宣言されました。この協定により、ベトナムは北緯17度線を境に南北に分断されました。その後、この分断はベトナム戦争へと発展していきますが、重要なポイントは大きく2つあります。
1つ目は、ジュネーブ協定で、協定成立から2年後に自由選挙を行い、南北統一を図ることが約束されていたことです。しかし、アメリカと南ベトナムはこれを拒否しました。その理由は、選挙結果によってはベトナム全土が社会主義国になる恐れがあったからです。アメリカは、社会主義が世界に広がることを強く警戒していたのです。
2つ目は、1955年にアメリカが南ベトナムにゴ・ディン・ジエム政権を樹立させたことです。ところが、これが大きな誤算となりました。ゴ・ディン・ジエムは独裁者であり、彼がキリスト教徒の家に生まれ、自身もカトリック教徒であったため、欧米的な価値観を理解していると期待されていたのですが、実際には敵対者を容赦なく粛清し、アメリカからの支援物資を私物化して私腹を肥やしました。このため、南ベトナムでは貧富の差が拡大し、国民の不満が蓄積されていきます。
アメリカは最終的にゴ・ディン・ジエムでは状況を改善できないと判断し、軍幹部にクーデターを促しました。これが繰り返されることで国内は混乱し、国民は政府への信頼を失っていきました。そして、腐敗した政権に反対する人々によって「南ベトナム解放民族戦線(解放戦線)」が結成され、反政府ゲリラ活動が活発化していきます。実際、ベトナム戦争は、南ベトナム内の「南ベトナム政府 vs 解放戦線」という内戦から始まったのです。
まだお伝えしたいことは多々ありますが、今回の記事は「ASEANのはじまり」についてですので、ベトナム戦争の詳細についてはまた別の機会にお話ししたいと思います。
では、なぜASEANの始まりを理解するにはベトナム戦争の背景を読み解く必要があるのでしょうか。ベトナムに隣接するカンボジアやラオスにも社会主義勢力が台頭しており、これに対してアメリカやタイ、マレーシアなどの東南アジアの資本主義諸国は大きな危機感を抱きました。南ベトナムが共産主義化すれば、東南アジア全域が社会主義の波に飲まれてしまうのではないかという「ドミノ理論」に基づく恐れがあったのです。この共産主義の影響を食い止めるために、ASEANという防波堤が築かれました。
現在のASEANは、東南アジアを一つの経済圏に統合する組織として知られていますが、その誕生の背景には、共産主義の拡大を防ぐという目的があったのです。
ベトナム戦争の終結後、1984年にブルネイが加盟し、1995年にはベトナムが加わりました。その後、ミャンマーとラオスが続き、1999年にはカンボジアが加盟。現在では10か国がASEANの加盟国となり、さらに東ティモールがオブザーバーとして参加しています。
ASEANは各国ごとに独自の特徴を持つ、非常に魅力的な市場です。
今後、ASEANはさらに成長を続けるでしょうし、私たちもASEAN各国の歴史や文化を学びながら、共にビジネスを展開できることを願っています。ASEANに関連する記事は今後も掲載していきますので、ぜひお付き合いください。